近藤勇生誕地として知られる調布市には、今も多くの史跡やゆかりの地がある故郷です。
新選組局長として活躍した調布の歴史偉人・近藤勇の原点をたどることができ、生家跡や西光寺をはじめ、周辺には大沢(三鷹市)など関連スポットが点在しています。これらの史跡は徒歩やシェアサイクル、一般の路線バスで巡ることができ、近藤勇生誕地を訪れるファンにとって魅力的な散策コースとなっています。地域の歴史を感じながら歩くことで、幕末の雰囲気をより深く味わうことができます。観光の際には、各スポットの案内板や周辺の風景にも注目し、上石原の歴史と文化を楽しんでください。
上石原エリア(京王線西調布駅周辺)
上石原エリアは、近藤勇が生まれ育った武蔵国多摩郡上石原村があった場所です。「近藤勇生誕の地 上石原」として地域の象徴となっています。駅周辺には生誕地を示す案内板や、ゆかりの史跡へと続く散策ルートが整備されており、初めて訪れる人でも歩きやすい環境が整っています。地域の人々は、近藤勇の忠義の心や“誠”の精神を後世に伝えるため、幟の掲出やマンホールの設置、まつりの開催など、住民が一体となって活動を続けています。こうした取り組みにより、上石原は近藤勇の生涯や新選組の足跡を身近に感じられるエリアとして親しまれています。観光の拠点として最もアクセスしやすく、上石原を中心に野水・大沢(三鷹市)方面へと広がる史跡めぐりのスタート地点として最適です。
生誕の地 上石原

京王線西調布駅の北口を出ると、まず目に入るのが大きく掲げられた「新選組局長 近藤勇 生誕の地 上石原」の案内板です。地域の象徴として設置されたこの看板は、訪れる人に上石原が近藤勇ゆかりの地であることを一目で伝えるランドマークとなっています。
駅周辺では、この案内板を起点に散策できるコースの紹介や、地域の歴史に触れられる取り組みが進められています。
ふるさとMAP

近藤勇ゆかりの地を巡る散策MAPです。
生誕地のある調布市上石原をはじめ、野水や三鷹市大沢など周辺地域に点在する史跡も紹介しています。生誕地めぐりや歴史散策にぜひご活用ください。
※MAP内のQRコードは調布市観光協会トップページへ移動し、一番下に「近藤勇生誕の地上石原」のバナーがあります。
近藤勇座像・西光寺



近藤勇は甲陽鎮撫隊(鎮撫使)を率いて甲府へ向かう途中、西光寺前の名主・中村勘六宅に立ち寄り歓待を受けたと伝わります。
2001年(平成13年)、没後130年を記念して調布市で活動する「近藤勇と新選組の会※昭和63年発足」が中心となり募金活動を行い建立されました。制作は日本彫刻美術会社、彫刻担当は岡本太郎美術館の役員であった田中 高氏。
隣には西南戦争招魂碑(地人六勇士)があります。
近藤勇は甲陽鎮撫隊(鎮撫使)を率いて甲府へ向かう途中、西光寺前の名主・中村勘六宅に立ち寄り歓待を受けたと伝わります。
※お墓ではありません
近藤勇座像の隣には西南戦争招魂碑(地人六勇士)があります。1878年(明治11年)4月10日、西南戦争で初の徴兵制によって新政府軍として戦い戦死した地域出身者六名(上石原村・秋輪次郎)を慰霊した石碑です。近藤勇の父方祖母の実家である萩原興兵衛氏(飛田給村)が発起人となり建立され、昭和13年(1938)4月10日に秋輪軍次郎(遺族の一人)が修繕し土台を「白河石(福島産)」への変更しました。
幕末から明治へと大きく時代が移り変わる中、この上石原地域は幕府への忠誠と新政府軍として戦った人々の慰霊が共に残る、歴史の重なりを感じられる土地です。

遥拝の地・故郷へ錦を飾る

近藤勇は新選組局長としての功績が幕府に認められ、農民の身分から旗本並みの待遇を受けるほどの出世を果たしました。 さらに慶応3年(1867)には正式に幕臣となり、名実ともに幕府の武士となります。しかし慶応4年(1868)、‘鳥羽伏見の戦い’で幕府軍は敗れ、江戸へ退き幕府の命により甲府城の治安維持を担う甲陽鎮撫隊隊長(大久保剛)に任命されました。甲州街道(現・旧甲州街道)を進軍する途中、故郷・上石原村を通過しました。 一刻も早く甲府へ向かうため、氏神様・上石原若宮八幡神社には参拝せずに神社の方角へ向かい、馬を降りて丁寧に礼(戦勝祈願)をしたと伝えられています。この進軍には土方歳三をはじめ、永倉新八・原田左之助・斎藤一・大石鍬次郎・島田魁など新選組の主要隊士も参加し、勇の故郷・上石原村を通って進軍しました。
※目印として、FC東京と「誠」マークの看板があります。
誠のマンホール蓋

近藤勇生誕190周年を記念し、クラウドファンディングにより製作され、2024年(令和6年)10月20日「近藤勇生誕地まつり」にてお披露目されたマンホール蓋です。
京王線西調布駅北口から甲州街道・西光寺へのルート上に設置されています。
◎配置図はこちら
マンホールカード

新選組局長・近藤勇デザインのマンホールカードを配布しています。 2025年(令和7年)4月25日(金曜日)に発行され、調布市で2枚目のカードとなりました。
配布場所:西調布体育館
住所:東京都調布市上石原2丁目4-1
上石原若宮八幡神社

近藤勇(幼名:宮川勝五郎)も幼い頃にお宮詣りをした、上石原村の氏神様です。上石原若宮八幡神社は、武士の守護神として広く信仰された八幡神(応神天皇)と、その御子を祀る「若宮八幡」の形態を持つ神社です。また、合祀四社の一つとして“天満宮”があり、菅原道真公をお祀りしています。(新選組の「誠」の題字は、北野天満宮の「誠の大絵馬」を元字としています。)
かつて、若宮八幡の崖(ハケ)は「天神山」と呼ばれていましたが、明治初期以降、天満宮の信仰や天神山の名は次第に語られなくなりました。
今でも地域の人々に親しまれ、長く大切に守られてきた神社で、現在もその歴史と伝統が息づいています。
江戸時代、この一帯は「武州多摩郡上石原」と呼ばれ、 新選組局長・近藤勇の生家(宮川家)も同じ村内にあり、 上石原若宮八幡神社の氏子として深く関わっていました。 秋の例大祭では、神輿が村内を巡行し、 当時は雑木林(現在の調布飛行場付近)を抜け、 近藤勇の生家周辺の氏子地域にも訪れていたと伝えられています。 神輿が生家に差しかかると、盛大な接待が行われ、 氏子のお年寄りの方々からは、賑やかで楽しい祭りの思い出が語られています。 戦争や地域の変遷により、現在は生家跡の周辺が「調布市野水」となり、 調布飛行場の造成によって上石原村は分断され、 当時の面影は少なくなりましたが、 例大祭と近藤勇のゆかりは今も地域の歴史として語られています。

誠の幟

上石原地域では、上石原村辻に生まれた近藤勇の遺徳を顕彰し、幕末期に示した忠義の精神を後世に伝えるため、氏子や地域の有志により「誠」の幟が掲げられています。若宮八幡神社や生家跡にも幟が設置されており、地域が勇の精神を継承している史跡的な景観となっています。
調布市野水・三鷹市大沢エリア(都立野川公園周辺)
調布市野水・三鷹市大沢エリアは、近藤勇の生家があった地域で、上石原とはまた違った静かな雰囲気が広がっています。すぐそばを流れる野川は豊かな自然に恵まれ、四季折々の風景が楽しめる散策スポットとして親しまれています。目の前には都立野川公園が広がり、現在の公園や調布飛行場の一部は、かつて生家・宮川家が所有していた土地が基盤となっています。こうした自然環境と歴史が重なるこの地域では、近藤勇の生家跡や撥雲館、龍源寺など、ゆかりの史跡が点在し、静かな環境の中でその足跡をたどることができます。上石原エリアとは異なる魅力を持ち、近藤勇の原点をより深く感じられる場所です。
近藤勇生家跡

近藤勇(幼名:宮川勝五郎)は、1834年11月9日(旧暦:天保5年10月9日)、武蔵国多摩郡上石原村辻(現在の東京都調布市野水)にあった宮川家で誕生しました。宮川家は江戸時代、新田開発を担った家柄で、上石原村の開拓に深く関わった家として知られています。生家は約7,000㎡(サッカーコート約1枚分)にも及ぶ広大な屋敷で、主屋をはじめ、蔵・納屋・天然理心流の稽古場となった道場などが立ち並んでいました。現在も昭和18年(1943年)まで使用されていた「産湯の井戸」が残されており、近藤勇が生まれた際に産湯として使われたと伝わる、数少ない“生家の痕跡”として貴重な史跡です。
勝五郎は15歳で天然理心流に入門し、翌年には目録を許されるほどの腕前に成長しました。その後、師である近藤周助の養子となり剣術修行に励み、文久元年(1861年)、武蔵国総社六所宮(現・大國魂神社)にて天然理心流四代目宗家・近藤勇を襲名しました。
住所:調布市野水1丁目-6
近藤道場撥雲館

生家跡の向かいには、明治9年(1876)、近藤勇の一人娘・たま が従兄にあたる宮川勇五郎(勇の兄:宮川音五郎の次男)と結婚し、天然理心流5代目宗家近藤勇五郎となり、近藤道場「撥雲館」を開きました。道場の木材は近藤勇の生家・宮川家の裏山から伐り出され、門人であった大工の手によって建てられました。
「撥雲館」という名は、幕臣で剣客として名高い山岡鉄舟が、「暗雲を払い除く」という意味を込めて命名したものです。
道場は多摩一円で三千人もの門人を指導したと伝わります。
※立ち入り禁止、外観のみ見学可。
龍源寺・墓所

近藤勇の墓所がある寺院で、門前には胸像が建てられています。板橋で処刑されたのち、近藤勇の遺骸は遺族の手によって密かに引き取られ、生家・宮川家の菩提寺である龍源寺へと改葬されました。
幕末の動乱の中で「賊軍」「朝敵」とされ処刑された勇ですが、その背景には、幕府への忠誠を貫いたがゆえの立場の変化や、新政府成立期の複雑な政治状況がありました。
故郷に戻った勇の墓は、今も多くの人々がその生涯を偲び、静かに手を合わせる場所となっています。
※墓地につき、静かにご参拝ください。
※胸像前は自由にご覧いただけます。
住所:東京都三鷹市大沢6丁目3-11
公式 みたか都市観光協会
調布市 他エリア
調布市内には、近藤家の歴史が受け継がれている場所が点在しています。深大寺や布多天神社、郷土博物館には、幕末から明治期へと続く近藤家の歩みを知ることができます。これらの史跡は、新選組の活動そのものを伝える場所ではありませんが、勇の家系が地域と深く関わり続けた証として非常に貴重です。
深大寺・元三大師堂(奉納額「武徳」)

※御祈願時のみ拝観可・写真撮影禁止
深大寺の元三大師堂右側の鴨居には、明治40年(1907)3月3日の厄除大祭の日に奉納された記念額「武徳」が今も掲げられています。
天然理心流五代目であり、近藤勇の甥・婿養子でもある近藤勇五郎が、日露戦争へ出兵した門人たちの武運祈願へのお礼として奉納したものです。
額には勇の孫・久太郎の名も刻まれています。(右から五番目)
奉納額「武徳」は、縦112cm・横295cm(周囲の枠 各11cmを含む全体寸法)という大きな額です。
住所:東京都調布市深大寺元町5丁目15-1
公式サイト
布多天神社(日露戦争記念碑と忠魂碑)



布多天神社の境内には、日露戦争に関する碑が二つあります。
日露戦争記念碑、忠魂碑の裏面には、近藤勇の孫・久太郎の名がそれぞれに刻まれています。彼は明治37年に日露戦争へ従軍し、満州(奉天)の戦地で明治38年に戦病死しました。 近藤家の直系がここで途絶えたことを伝える史跡です。
碑文を揮毫したのは、近藤勇が甲陽鎮部隊を率いて甲府へ向かう途中、上石原村で歓待を受けた名主・中村勘六の長男で、多摩三筆の一人に数えられる中村克昌です。
勇とゆかりの深い人物による筆跡が残されている点でも、非常に価値の高い史跡となっています。
住所:東京都調布市調布ヶ丘1丁目8-1
公式サイト
調布市郷土博物館

調布出身唯一の歴史人 新選組局長 近藤勇の出身・調布市にある郷土博物館。(入館料無料)
館内には、西光寺門前(調布市上石原1丁目28−3)にある「近藤勇座像」のレプリカが展示されています。近藤勇の来館記念スタンプや、勇が生まれた上石原村辻の生家・宮川家(現 調布市野水)の生家の模型も展示されています。近藤勇養子縁組状(市指定有形文化財・古文書)が収蔵されており、こちらもレプリカを閲覧できます。新選組ファンや郷土史に興味のある方にはおすすめのスポットです。
住所:東京都調布市小島町3丁目26-2
公式サイト
天然理心流
原田(谷戸)道場跡


天然理心流三代目・近藤周助の弟子で、近藤勇の兄弟子にあたる 原田忠司が開いていた道場の跡です。
原田忠司は近藤勇より17歳年上。文久元年(1861)勇が六所宮(現:武蔵総社 大國魂神社)で天然理心流四代目宗家を襲名した際、源平合戦になぞらえた野試合が行われ、その審判役を務めたと伝わります。現在は案内板のみですが、近藤勇も通った天然理心流の道場があった場所です。
※国領名主・谷戸市兵衛に用心棒として雇われ、やがて谷戸の姓を名乗りました。
住所:東京都調布市国領町1丁目30
地域資料はこちら:原田忠司